京都民医連あすかい病院 往診センターのブログ

京都民医連あすかい病院の訪問診療を担う、往診センターのブログです。

引き出しの中

f:id:ousinsenta:20190925001113j:plain

古い引き出し

   

 なぜ医師になったのか、と聞かれると「一生続けられる仕事だから」「父が病弱だったので医療に興味を持った」などと答えることが多い。けれど、普段は思い出すこともめったにない思い出が、医師になる道へ自分を進ませたのかなと思うことがある。

 私の父方の実家は和歌山の田舎町にあった。曾祖父の時代に「乳だすくすり」と名付けた薬だか健康食品だかを売って、一代で身代を築いて建てた家らしい。しかし祖父がほぼ全財産を満州鉄道の株に投資してしまい、株券は紙くずとなって戦後は食べるのに苦労したと聞く。父は小さい頃、その株券を風呂の焚き付けに使っていたと言っていた。「乳だすくすり」については父に聞いても、「どうせ片栗粉と何か適当なものを混ぜただけやろ」との答え。

 小学生のある日、私は普段使われない古い水家簞笥の引き出しがふと気になって中をのぞいた。手前には商いをしていた頃の大福帳がどさっとあった。そしてその奥にはなんと風呂焚きにも使い切れなかった満州鉄道の株券がさらにどっさり入っていた。「ご先祖の財産がこの満州鉄道の株券に変わっていなければ、父の子供時代はもっと楽だっただろうに」と思うと苦々しい気持ちがこみ上げた。

 ところが株券を取り出してみると、その下にさらに折りたたまれた紙や宛名が書かれた封筒がいくつもしまわれていた。それは「乳だすくすり」を買った人たちからのお礼状だった。くすりを飲んでから母乳の出が良くなって赤ちゃんがすくすく育っているという人や、母乳の出が悪いお母さんに勧めて喜ばれたという産婆さんからの手紙もあった。そのいくつもの手紙を読んでいるうちに、私の心はほっとしたような気持ちになった。それは、色々な物が失われた後でも、感謝したり喜んでくれた人たちがいるという事実は残るのだということへの安堵の気持ちだったように思う。 

 今思うに、それが私の医師としての原点なのかもしれない。

 

T医師

 

#左京 往診

#左京 在宅

#左京 訪問診療

#左京 病院 診療