京都民医連あすかい病院 往診センターのブログ

京都民医連あすかい病院の訪問診療を担う、往診センターのブログです。

七転び八起き

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 早いもので、往診センターのメンバーによるコラムも、わたしで最終回となりました。
 
 20代後半から30代半ばにかけて、この病院で事務(病棟クラーク⇒病歴⇒医事)をしていたわたしは、毎日のルーチン業務に追われ、沢山の患者さんの声に翻弄され、更にイイ子ぶりっ子だったため、疲労困憊してしまい、とうとう体調を崩してしまい、退職してしまいました。(もともと看板を書く職人だったため、職人気質で、医療事務のルーチン業務が苦しくて脱出したかったためとも言えるかな・・・)

 なのにもかかわらず、病院でお世話になった上司から、手伝って欲しいと声をかけられ、一年もたたず診療所にてアルバイトという形ですが、すぐに舞い戻ってしまったのでした。
 夜診の受付と会計を週1回、それが診療所での始りでしたが、だんだんと増え、夜診の3回を担うようになり、夜の顔となって行きました。
 それでも、いつも心に迷いがあり、いつかは違う職場へと変わろうと思いつつの9年、パートながら診療所で働きました。
 そして、一旦はデパ地下での販売も経験しましたが、売り切らねばならない毎日がまったく合わず、それでも何とか苦しみながらも頑張って4年働きました。
 
 デパ地下を辞めて、アルバイトをしていた頃、また診療所から声がかかり、久しぶりに医療の現場に戻りました。またまた夜診の受付と会計を担いまして、週3回の夜の顔として働き出しました。そうしましたら、何かが吹っ切れたように楽しかったのです。常勤、パートと形態は違えど、毎日しんどくて仕方なかったはずが、今度は、ときには辛くとも、楽しく仕事をしている自分に驚くほどでした。よっぽどデパ地下が苦しかったのかな?!
 そして、なんの因果か?13年ぶりに病院へと戻ることとなりました。今でもパートですが(笑)
 現在は、一般的には聞きなれないと思われる「医師事務補助」という仕事をしています。ここまでの人生も、転んでは起き上がりの繰り返しではありましたが、この仕事をやり始めてからも、悩みつまづき、ド緊張の中でときには壁にぶち当たりと、激しく転びながらも起き上り、昔の経験が役に立つことも大いにあれど、ときには邪魔になる・・・そんな、無傷ではいられない毎日を送っています。それでも、自分が頑張ることが、患者さんのために繋がっていると、何度も起き上り、働きがいを感じながら、日々頑張っています。

 病院は、国の作った枠の中でしか患者さんを助けることはできません。限界を感じ、ものすごくジレンマに陥ることもあります。でも、そんな国に働きかけていき、変えていくことはできると思うのです。日々のジレンマを怒りに変え、もっと強くなれたらと思いつつ、あきらめないで生きていきたいと思っています。